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中勘助がパブリックドメインになったよ

2016年から安西冬衛、梅崎春生、江戸川乱歩、大坪砂男、河井酔茗、蔵原伸二郎、式場隆三郎、高見順、谷崎潤一郎、中勘助、森下雨村、山川方夫、米川正夫という面子がパブリックドメインになりました。青空文庫 を参照のこと。

 

まぁ、乱歩と谷崎が目玉であとはおまけ、みたいな扱いになるんでしょうが虚淵玄の祖父アピールをすればそれなりに食いつく人がいそうな大坪砂男、ロシア文学好きからしたら嬉しい米川正夫、短編の名手なのでネットでちょこっと読むにはちょうど良さそうな山川方夫など他にも色々と面白い作家がパブリックドメインになっている年なので青空文庫が早く仕事をしてくれれば……。ってあまり期待してもあれだね。TPPのせいでやる気がなくなってそうな感じもあるし。

 

とまぁ前置きは置いておいて中勘助がパブリックドメインになって作品が広まってくれると嬉しい。中勘助は『銀の匙』だけの作家じゃないよ。もっとドロドロとしている人間達を描いた作品のが面白いんですよ…。の禍々しい感じの『犬』や、これでもかっていうくらい人間の業が詰め込まれている『提婆達多』やかなり残酷な世界が描写される詩とか…。

『銀の匙』にはないおどろおどろしい文章こそこの人の真骨頂だと思う。

というわけでいくつか中勘助作品の紹介。パブリックドメインになったので堂々と引用出来るのがいいね。

 

犬―他一篇 (岩波文庫)

犬―他一篇 (岩波文庫)

 

回教徒軍の若い隊長に思いをよせる女の告白をきき,嫉妬と欲望に狂い悶えるバラモン僧は,呪法の力で女と己れを犬に化身させ,肉欲妄執の世界におぼれこむ.ユニークな設定を通し,人間の愛欲のもつ醜悪さを痛烈にえぐりだした異色作「犬」に,随筆「島守」を併収.著者入朱本に拠り伏字を埋めた. (解説 富岡多恵子)

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-310514-1

 自分以外の男に恋し、その子を宿した女に嫉妬した婆羅門僧、彼は女も自分も邪法によって犬に変えてしまう。

それでも僧を拒絶する女犬とそれを意に介さずに女犬と情欲を満たそうとする婆羅門犬の話。行為のシーンや、子供を食べるシーンなどかなり際どい描写が描かれて当時こんなのを出版して大丈夫だったのかな?とも思ってしまう作品。作品の筋よりも1つ1つの描写が今読んでも強烈なんだよね…。禍々しい情欲をそのまま禍々しく描いている作品。

 

『わしはもうなにもいらぬ。わしはもう苦行なぞはすまい。なにもかも幻想じゃった。これほどの楽しみとは知らなんだ。罰(ばち)もあたれ。地獄へも堕ちよ。わしはもうこの娘をはなすことはできぬ』。『それにしてもわしは年よっている。そうして醜い。これからさきこの娘はわしと楽しんでくれるじゃろうか。いやいや、とてもかなわぬことじゃ。ああ、わしはあの男のように若う美しゅうなりたい。そうしたなら娘も喜んで身をまかせてくれるじゃろうに』

 

「彼女は暴力に対する動物的な恐怖に負けてしまった。彼女はきゃんきゃんと、悲鳴をあげた。口から泡をふいた。神意によって結ばれた夫婦の交りは邪教徒の凌辱よりも遥に醜悪、残酷、かつ狂暴であった。・・・僧犬はやっと背中からおりた。彼女はほっとした。が、その時彼女の尻は汚らしい肉鎖によって無慙に彼の尻と繋がれていた。彼女は自分の腹の中に僧犬の醜い肉の一部のあることを感じた。それは内臓に烙鉄をあてるように感じられた。彼女は吐きそうな気になった。いわばその胎から嫌悪がしみ出した。彼女は早くはなれたいと思って力一杯歩き出した。僧犬は後退りしてくっついてくる」

 

提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5)

提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5)

 

 「ひとり彼にのみ勝利の日を楽しませはせぬ!」――仏陀に対する狂おしいまでの嫉妬と憎しみから,生涯,執拗に仏陀に挑みつづける従弟提婆達多.我執の権化ともいうべきその姿をとおし,人間の我と妄執の生みだす悲劇が力強い文体で描き出される.和辻哲郎による書評「『提婆達多』の作者に」を付載. (解説 荒 松雄)

 

https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/31/X/3105150.html

 仏陀に負け、仏陀に追いつこうとして追いつけない提婆達多。提婆達多は何をしようとも最後まで仏陀に追いつくことは敵わないし、昔は見下していた描写も存在するのでそこからの落差がもうね。

絶対に追いつけない才能を身近で見た時の人間の悲哀がこの作品にはあるし、それがもう痛々しい。

こんな提婆達多にとっての救いは……?ってのは最後の一文に全部集約されている(引用したいけども流石にネタバレになるしやめる)。

 

あと阿闍多設咄路と父親の不和の話もまた現代にまで通じそうな親子間不和がテーマになっているのでそこもまた…。

 

阿闍多設咄路(アージャタシャトル)、お前には耳がないか。親の恩がわからぬか。お前の体は髪の毛の先までも両親のものではないか。お前がそうして安楽に日を送っているのもみな親のお蔭ではないか。お前は私たちに産んで育ててもらったのではないか。お前にはこれほどのことがわからぬか


御覧なされ、私は決して梵天の子ではない。憐むべき一個の人間の子である。私はあるがままの私を愛してほしい。見苦しき、憫笑すべき、恩愛の愚痴が縦(ほしいまま)につくりだした私の幻影を愛してほしくはない


あなた方はただ単に己の色欲の満足のゆゑに私を生んだのである。
そのうへなお大それたる僭越と厚顔とをもつて人に恩を売らうとする。
私はあえて言ふ。
父母はその子の生まるると同時にその足下にひれ伏して罪を謝すべきである。そして一生をとほして懺悔の生活を送るべきである。
父上、よくおききなされ。生殖の罪は人間のいかなる罪よりも罪である。

 

 

中勘助詩集 (岩波文庫)

中勘助詩集 (岩波文庫)

 

この詩集に書かれているような文章こそ中勘助の真骨頂だと思う(上にも書いてる)

以下ちょっと引用

「飢饉」

 

草木も食ひつくした北国の凶作地
メアカン颪しみる夕暮
太兵衛の妻は井戸ばたで
笊に一升米をといでゐた
亭主が死ぬ思ひで買つて来た米
それを隣りのかみさんがみて頼むには
「親子三人たべずにゐる
どうぞ五合だけ貸してください」
太兵衛の妻は気の毒がつて
笊から半分わけてやつた
帰った亭主がそれをきいて
腹をたてていふことには
「石でも食ひたいけふ日の場合
人助けとはもつてのほか
あすの米のあてもない
すぐいつてとりかえせ」
太兵衛の妻はしかたなく
訳を話しに隣へいつたら
借りた米で粥をたいて
ふたりの子にたべさせてゐあ
それを無理やりとりもどして
亭主の無情を嘆いたのを
太兵衛がきいて烈火と怒り
薪ざつぼうでぶんなぐったら
急所にあたつて死んでしまつた
隣のかみさんは命の粥を
もぎとられた悲観のあまり
子供たちを外へだして
首をつつて死んでしまつた
暫くたつてもどつた子は
それみてびつくり仰天
人をよびにかけだしたが
途中で凍えて死んでしまつた
なにもかもない裸の凶作地
ことしや北国には黒雪がふるだろ

 

「袈裟」

 

 ひとたび肉の味をしめた獣の欲情
邪恋の嫉妬
約束のふしどに忍びより
うかがふかたきの寝息
ばつさり打落す首
ひつ包んで持ちかへる
したたる血汐
生臭い重み
してやつたにたにた笑ひ
どーれお目にかからうかい と
包みをとけば あな
真心ささげた無言の拒絶
夫にやつせる女の首
袈裟!

 

 

「塩鮭」

 

ああこよひ我は富みたり
五勺の酒あり
塩鮭は皿のうへに高き薫りをあげ
湯気たつ麦飯はわが飢ゑをみたすにたる
思へば昔
家を棄て
世を棄て
人を棄て
親はらからを棄て
瞋恚や
狂乱や
懐疑や
絶望や
骨を噛む良心を病苦に悩み
生死の境をさまよひつつ
慰むる者とてなく息づきくらし
または薬買ふ場末の待の魚屋の店にならぶ
塩鮭のこのひときれにかつゑしこともありしかな
見よや珊瑚の色美しく
脂にぬめるあま塩の鮭きれは
われにその遠き昔をしのばせ
そぞろに箸をおきて涙ぐましむ

 

「怨恨」

 

燃えさかる猫
燃えさかる鼎
そのなかで闘ふ生首
上になり 下になり
上になり 下になり
声もたてず目をいからし
爛れながら歯を鳴らして噛みあふ
ややあって楚王のが噛み伏せられ
ぶくぶくと底に沈めば
怨みをはらして共に沈む眉間尺
あとには沸々とわきたつ
生臭い血混じりの肉汁

 

とまぁこんな風にちょっと紹介したのでこれで『銀の匙』以外の中勘助読者が増えてくれれば…青空文庫の仕事がスムーズに行くことを願います…。