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政治の話題で一方的な情報しか見ないこわさ。

昨日書いたこの記事とわりと同じ事言うけども、気にしない(どうせ誰も読んでないし)


 

さて、民進党、自民党がそれぞれ作ったハッシュタグが話題になったりしてますね

・民進党作成ハッシュタグ

News about #3分の2 on Twitter

・自民党作成ハッシュタグ

News about #自民党に質問 on Twitter

 

これ、どちらも「それぞれの党に批判的な人のためのハッシュタグ」になっていて、党の中の人たちはこんな事を想像してなかったのかなぁ……。とも思うわけですが、本題はそこじゃなくて、こんなタグをわざわざ見る人は「民進党を批判的に見ている人」あるいは「自民党を批判的に見ている人」しかいないんじゃないか。って事です。

 

どちらのタグも「民進党支持派」「自民党支持派」がわざわざ見てないでしょうこれ?ってくらいひとかたまりの意見になってしまってる。「批判的に見ている人」にとってはそれは心地良いタグかもしれないけども、それって何も建設的じゃないよね…という話。一方の意見の人にしか届いてないんだから。

 

別にどの党を支持、批判しようとそれは個人の自由ですが、「批判的な人達」「支持派の人達」どちらの声も「同じような考えの人たちで固まっているから、考え方が違う人の意見がろくに届かない」、故に「(反対意見を全然みないし、たまに見てもその意見に付随するデータをきちんと検証もしないで)自分達の方が正しい、なぜならこちらにはこのデータがあるから。」ってなって止まってしまうイメージがあるんですよね。。。そして、それ以上議論を進めない人達が多いというイメージが、ねぇ。

 

この疑問は前の記事でも書いた気がするけども「支持派の人には、支持派にとって都合のいい情報」が流れてくるし、「批判的な人には、批判的な情報のとって都合のいい情報」が流れてくるわけなんですよね。そしてこの「流れてくる情報」はどこかの時点でかなり歪められていて、「同じ情報」は滅多に共有されない。

こんな非対称な情報の受け止め方をしている人たちでそもそも議論が成立するわけないんですよ。どちらも「自分の得た情報が正しい(それ以上の情報は不要)」みたいな事を思ってしまうわけなんだから。

 

政治の話題って本来、支持派と批判派が「同じ情報を共有してそれを踏み台にして議論する」事が一番健全だと思うんですが、いろんな話題を見ていくとあまりに情報の入手方法がばらばらすぎないですかね……。って思うわけです。

どちらの人たちも「自分とは真逆の人たちが何の情報を元にそれを言っているのか」まで突き止めて見たらきっといろいろと違うものが出てくる(気がする)んですけどね。。

まぁ政治の話題で考え方違う人の意見を見ると頭痛くなったりするので、あんまり見ないって考えもわかりますけど、そもそも政治の話題なんてそんなものでしょう?

相手の意見も検証せずにただ叩くだけ、ってどっかのあんな人達じゃないんですから。。。ね。