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ナオミ・オルダーマン『THE POWER(パワー)』の感想、女性が力を手にして男性を支配する世界を描いたSF

 

パワー

パワー

 

 

司法大臣がページをめくった。禁止事項のリストは長く、小さな活字でびっしり印刷されていた。

今後、男性は自動車を運転することはできない。

今後、男性は事業主となることはできない。外国人のジャーナリストやカメラマンは女

性に雇用されることが必要。

今後、男性だけで集まることは許されない。自宅であっても、三人以上集まる場合はかならず女性の同席が必要、

今後、男性には選挙権は認められない。長年の暴力と腐敗から見て、男性が支配や統治に向いていないのは明らかである。

これらの法律を公然と無視している男性を見かけた女性は、ただちにその男性に懲罰を加えることができる。というよりそれが義務である。この務めを怠るものは国家の敵であり、犯罪の従犯すなわち国の平和と調和を乱そうとするもののひとりと見なされる。

その後の数ページには、これらの規則に関するささいな例外事項、なにをもって「女性の同行」とするかという説明、医学的な緊急事態の場合の緩和措置──なんといっても男性も人間んはちがいないのだから──が記載されていた。リストの読みあげが続くにつれて、会見場はいよいよ静かになっていく。

司法大臣はリストの朗読を終えると、静かに原稿をおろした。肩にはまったく力が入っておらず、顔は無表情だ。

「以上です」彼女は言った。「質問は受け付けません」 

 

というわけで読書感想。女性が突如力を得て、男性を支配していく様を描いたSF。

 

この突如力を得ていく過程が「なんか突然女性全員に電撃が出せるようになった」というトンデモ設定に近いものなんですが、話の要点はそこではなく「もし女性が男性のような権力を手にしたらどうなるか?」みたいな事がメインの本。電撃うんぬんは舞台設定でしかないのであまり深く考えてはいけない。たぶん。

作中で描かれてる女性が男性に抑圧 していく過程と内容はけっこう酷いと思うものはあるけども、それは現実の男性が女性にやってる事だよね?なんでフィクションで女性がそれをやろうとする時と現実で男性がやっている事で思い描く感情が違ってくるの?というわかりやすいメッセージが込められている。作品で描かれる体制や制度への批判はそのまま現実の批判へとつながるようにできているのは上手いしそれが面白い。

 

また、あらすじだけ事前に知る読む前いわゆるフェミな人たち寄りの本かと思いがちですが、それに関する皮肉の本とも読める気がする。この男性を抑圧する世界を喜ぶ人なら、これをディストピア小説として読めないならそれはフェミニズムではないよね?的な。

この作品は女性が男性を支配しだいぶ時が経った世界の歴史小説という体裁をとっていて、その世界では「男性の支配する世界」は”いまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって、ずっとセクシーな世界”と想像されている。これが皮肉でなくてなんなのだろう。

 

とはいえこんな簡単に男女を分けて、逆転させて物事を考えられるのかというと世界はそう単純ではないのではという思いも出てくるのも事実。どうしてもある部分だけを切り取ってそれを誇大化しすぎなのでは感は出てくる。いやまぁSFってそういうものですが、ページ数が長いので……。

 

まぁ読了感はさわやかすっきりとする本ではないのは確かだけども、こういう視点のSFは実に今の時代なSFっぽくて良い本ですよ。