東方鈴奈庵25話の考察
東方鈴奈庵4巻が出たので買ってきたよ。特典とか探しに行くのがめんどくさいので、本屋にあったら買うという人。
東方鈴奈庵 ~ Forbidden Scrollery. (4) (単行本コミックス)
- 作者: 春河もえ,ZUN
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2015/08/06
- メディア: コミック
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それはまぁ置いといて、やっとこれで鈴奈庵25話をきちんと読んだのでそれに関する感想、考察でも…。今までこれをネタにした二次創作を読んでいたものの雑誌で追っているわけではないので元ネタを読んでないといういびつな楽しみ方だった…。
既に何個か考察しているサイトがあるし、似たような考察結果になるだろうけども”人のことなんか関係なく自分がやって自己満足する事が大事”だと思っていたり。あとあくまで今の時点での考察だし日によってこれはころころと変わると思う。
というわけで25話の考察。
まず、24~25話で語られる『著者不明は容易く盗まれる』はこれまでの東方の世界観を覆すような作品。簡単なあらすじ。コマのスクショはめんどくさいのでしない。
最初はは小鈴がたまたま見つけた本を使い占いを始めそれが評判になる話、でもそれは”元の著者が怨霊として再び出てくるように仕掛けられた本”で、本の元の著者が実体化して出てきてしまう。
そしてこいつは”里の人間には害を与えるつもりはない””妖怪巫女とも敵対する理由はない”と言っているのに霊夢は”幻想郷では里の人間が妖怪になる事が一番の大罪なのよ”と言い放ち問答無用で妖怪を始末してしまう…そして人里は今までと変わらない世界に戻り…。
人、妖怪、その他が死なないような世界だとみんなが勝手に思っている東方の世界で妖怪をきちんと霊夢が殺している。これまでに霊夢が殺している(ように)思われるキャラは旧作での通り魔被害に遭ったオレンジ以外にはいないし、霊夢の台詞から東方の世界観、れいまりの行く先、博麗の巫女の仕事、など色々な事が今までとちょっと変わって見えるような話。
まず台詞の引用だけ。
:妖怪
ここまで来れば他に人はいない
さあ
俺を自由にしてくれないか?
:霊夢
はー?
:妖怪
世界の外側を
見たんだ
そうしたら急に
妖怪に管理された
人間生活が惨めに
見えてな
人間を辞めようと思ったんだよ
本を通じてあの世から戻ってこれる事を知った俺は
妖怪になる術を作り上げて
自ら命を絶った
:霊夢
残念ね
私は無用な殺生もする
無論
妖怪巫女でもない
妖怪なら問答無用で
退治する
人間巫女よ
:妖怪
ば 馬鹿な…
お前はいつも
一緒にいる妖怪を
退治していない
じゃないか!
それなのに……!!
:霊夢
勉強不足だったわね
幻想郷では
里の人間が
妖怪になる事が
一番の大罪なのよ
私の仕事はそれを監視する事
かくして
不良易者の妖怪化を
すんでの所で防いだ
霊夢であった
妖怪化した
もしくは妖怪じみた人間の事を人妖と呼ぶ
幻想郷のバランスを崩すのは
人妖なのだと
霊夢は思っている
だから注意深く監視しているのだ
一部の人間や──
鈴奈庵を
この話から色々と疑問、考察が思い浮かんでくる話で色々と想像してしまうよね。まぁ最初に言った通り今までの考察サイトと似たようなものになるだろうしそこまぁ適当に…どうせ真面目に読む人いないだろうし…
・里の人間が妖怪になる事が一番の大罪、の意味は?
これは作中そのままに幻想郷のバランスが崩れる行為だから、ってとれるもののなんでこれが”一番の大罪”扱いしているのかは分かりにくい。
そもそも幻想郷を根本から崩壊させようとする子がいたとしても、やっぱり里の人間が妖怪になる事が一番の大罪なの?とかひねくれた自分は思ってしまうんだよね。あと”妖怪が里の人間になる事”はどうなの?とかも思ってしまう。
里の人間にだけ”一生里の人間である事”を強制し、それから外れた人間は問答無用で始末してしまう霊夢は一見きちんと仕事をしているし、里の事を第一に考えているので一番の大罪扱いしているのかもしれない。それが正しい幻想郷のあり方なのかもしれないけれども、”決められた枠組みから外れた人間を認めない”のが幻想郷なのだとしたらこれはかなりのディストピアなのでは、とも思う。何もかも巫女に管理、支配されているようなディストピア。
・人妖ってなに?
確か永夜抄あたりでも出てきた言葉だけども一体幻想郷では何をもって”人妖”となるのかがかなり曖昧だった言葉。”妖怪じみた人間”というはっきりとした解釈が出てきたのはこれが初めてじゃない?そして、この解釈でも一体どこまでが人妖になるのかが分からない。妹紅あたりも人妖扱いになるのかな?と思っていると神主コメントでこんなのがあるし…。
人間だしね。でも何をもって人間とするのかを考えないと、不老不死の時点で人間と呼ぶのに抵抗がある。人間である一番の憑拠は、人間であると言う想い。DNAはその次である。 (ZUN)
じゃあ、結局霊夢に始末された妖怪も”自分はこんな姿になったけどもまだ人間である”と言っていたのなら始末されなかったのかな…?という想像に繋がってやっぱりよく分からない。この神主コメントと25話を元にどこまでが人間でどこまでが妖怪なのかというテーマは深く考えると泥沼にはまるし、たぶんこれ以上に深く追求話は出ないのでは…って思う(誰でもいいけど妖怪が人里の男の子を孕んだらそれは霊夢の始末の対象になるのか?とかだれかそういうテーマでやってくれないかな…。。)
個人的には妹紅は人間だと思うよ。蓬莱の薬程度で人間が人間じゃなくなるなんてありえない。妹紅は人間としての生活をしているし死にたいという欲望(しんぴろく)だっ
人妖、ってなるのはDIO様みたいに完全に人間である事をやめる!っていう意識が揃ってこそそうなるんじゃないのかな…。この霊夢に始末された妖怪だってそんな感じに見える。でも霊夢は妹紅の事を人妖、って思っているんじゃないのかな…。
あと蓬莱人形で唯一生き残っていた子は…?とか思う(旧作は今の東方の解釈に入れなくてもいいって立場だけども蓬莱人形はぎりぎりこちら側の作品だと勝手に思っている)。蓬莱人形についての解釈はネットに流れている文章を読んだだけだし(無断転載はよくないね)、これについて語ると長くなりそうなので疑問だけを書いておく。
・世界の外側って?
妖怪が最初の方で言っている世界の外側を見た、って台詞。これは”外の世界”の事なんじゃってまず思うよね。でもだったら”外の世界”と言う気がするし、わざわざ妖怪になんてならずに人里の人間が外の世界へ行く手段を見つければいい(それがあるとして)。だからこの”世界の外側”って言葉は外の世界、という意味じゃなくて”人間のままじゃ見れないような側面を占いを通じて知ってしまった、この外側を見るには妖怪になるしかない”って意味なんじゃないかな。
・魔理沙が魔法使いになるという事は人妖になるという事なのか、そして霊夢はそうなった魔理沙を始末してしまうのか?
このテーマは今の時点でも色々な二次創作があって、人によってかなり解釈が違ってるよね。霊夢は魔理沙を問答無用で始末する、霊夢は魔理沙だけは特別扱いして始末できない、霊夢は魔理沙を始末しようとするものの魔理沙に返り討ちに遭うetcといろいろなパターンを見てきたものの”魔理沙が魔法使いとなるという事は大罪”という基本的な解釈はどれも変わらない。ここらへんの二次創作を二十五話以前に描かれた”魔理沙が魔法使いになる前提のれいまり同人”と読み比べるとすごい面白いよ。
それはさておき、個人的には”霊夢は魔理沙が魔法使いになったら特別扱いもせずに始末する”と自分は思っているよ。残酷なようだけどもいざとなったら誰も特別扱いしないのが霊夢、だと思っている。ちょっと下に続く。
・一部の人間や──鈴奈庵を という文章。………一部の人間って誰のこと?
一部の人間(小鈴)と鈴奈庵、一部の人間(魔理沙、小鈴)と鈴奈庵、一部の人間(魔理沙)と鈴奈庵(小鈴もここに含む)っていう感じの解釈が出来る文章だと思う。咲夜、早苗、妹紅あたりを一部の人間の中に入れるのはなんかちょっと違う気もするし…
鈴奈庵、という文章の中に小鈴が含まれていいないのなら、最初の文章だってありじゃない?。鈴奈庵という施設だけを監視の対象にしているのかもしれないし。でもやっぱり2番目か3番目の解釈(どっちも意味は同じだこれ)だと思う…。
ここに魔理沙とはっきり書いてないのは読者任せにしている、というのもある気がする。個人的には”魔理沙”と扱わずに魔理沙を”一部の人間”扱いしているところから霊夢の残酷さが出ている文章だと思ってしまう。だからこそ、霊夢は魔理沙が魔法使いになったら始末してしまうんじゃ…って思うんだよね。霊夢はやっぱり誰に対しても平等に振る舞うはずだよたぶんきっと。
里の一部の人間も監視の対象にしているのでは、という疑問は妖怪になった易者がそうなるまで全く気付かなかった事や霊夢の人里に全く感心がないような台詞からこれはないんじゃ…って思う。
・魔理沙は”自分が魔法使いになったら霊夢が自分を始末するだろう”という事を知っているのか?
割と”魔理沙はそれを知った上で魔法使いになる”っていう二次創作が多いよね。でも25話ではそれを明示してはいない気がする。魔理沙は結局なんで霊夢がこの易者妖怪を始末したのが最後まで分かってないっぽいし、”知らない”っていう解釈でもいい気がする。何も知らないまま魔法使いになる研究をして、霊夢はそれを言わず、忠告もせずに監視だけをしている。そんないびつなれいまりがあってもいいよね。っていう話。
(いや、”魔法使いになったぜ!”意気込んで霊夢の元へやってきた魔理沙がわけもわからぬまま霊夢に殺されるような鬱な二次創作が見たい…ってだけとも言う)
・里の人間以外、の人間が人妖になったらそれは霊夢の始末の対象じゃないのか?
妹紅を霊夢が殺していない事から(殺せないけど)、外の世界で人が人妖になってそれが幻想郷に入ってきたとしても別にこれは殺されないんじゃないのかな?
となると一体なんで”里の人間”だけを特別扱いしているのか、という最初の方の疑問に戻ってしまうわけで…たぶん霊夢は今の幻想郷、今の人里を維持する事が責務だと思っていて、外の世界の人間、人妖がやってきたとしても別にそれが幻想郷のバランスを崩す行為をしない限り殺すまではしないんじゃないかな。異変解決という名前の新入りいびりはするけど。何書いているのかわからなくなってきた…。
あと魔理沙は”里の人間”に入るのかって事だけど、生まれた時に里の人間だったのだったら、たとえ勘当されようと、人里から離れて暮らそうとも”里の人間”である事からは逃れられないと思う。
魔理沙が”里の人間”に入らないのだったら、他の人間だって”一回里の外で出て暮らす→そこで妖怪になる”が許される事になってしまう。霊夢はたぶんこんな簡単な抜け道を許さないはず…。
・里の人間が妖怪になるのは大罪というのは、歴代の博麗の巫女が決めたルールなのか?、幻想郷そのもののルールなのか?、霊夢が勝手に決めたルールなのか?
これは霊夢独自の解釈で決めているルールだと思うし、霊夢以外に”妖怪になった人間”を始末するキャラクターはいないんじゃないかな…紫あたりは霊夢の代わりにしそうだけど。
こう思う根拠としては易者の妖怪がこのルールを知らなかった事、霊夢以外の巫女がこうした事をしていたのなら、幻想郷のルールとしてこれがあるのなら、易者が人間の時に少し調べた時にこのルールを知る事が出来たはず。知らなかったというならやっぱり霊夢が勝手に決めている事なんだと思う。
そしてたぶん霊夢は”いざ相手が殺される時”までそれを相手に言う事はない気もする。だって”こんな事を思っている、と言ったら一体どんな事されて自分を挑発する輩が出てくるか分からない”って思うめんどくさがりっぽいし…。
・幻想郷のバランスってなに?
これは(力の)バランス、って意味だと思う。やっぱり。
妖怪は人里では手を出さないルールがある→人里の人間が妖怪になるという事は、そいつが人里に手を出さなくともこのルールを破っている。自分自身に手を出しているから。って感じの解釈も出来る話だろうし、今の幻想郷を続けるとしたら例外は一切認めないってのが霊夢の立場だと思う。それが例え魔理沙でも。
誰か一人だけでも人里からの例外を認めたのなら、途端にいまの幻想郷のバランスが崩れてしまう。だからこそ易者の妖怪を殺したのだし、殺した理由を当の易者の妖怪以外にははっきりと言っていないのだと思う。
鈴奈庵25話は霊夢にとって幻想郷>>その他という価値観があるって解釈も出来るような話で、これを”霊夢のエゴ”ととるか”博麗の巫女とはそういうものだから”ととるかでかなりこの先のれいまり妄想も変わってくるよね…。霊夢が自分自身の解釈でこうした行為をしているなら(上にも書いたけど自分はこっち寄りの解釈)、れいまりの先には暗い道しかない。逆にこれが”博麗の巫女の仕事の一部”なら霊夢の個人的感情がそこに入る余地があって、れいまりの先にも救いがあるのでは…。どちらの解釈から見た二次創作ももっと見たいから単行本化した勢いでもっと25話れいまりを増やそう(自分で書こう)。
・結局なんでこの話の易者妖怪は殺されたの?なんで殺されない妖怪がいるの?
霊夢は今の幻想郷を気に入っている。今の人里を気に入っている。だから、それを少しでも壊すよう(に自分が感じる)存在は決して認めない。そこに話し合いの余地は一切ない。誰に言われたのでも、誰かに決められたのでもなく今の幻想郷を維持するために自分でこのルールを決めている、と思うので他の人間、妖怪、その他のキャラにはかなり納得しがたいものになっているものだけども霊夢自身の中ではかなり厳格にルールを決めているつもりで、他の人がこれをどう思おうともそれは知ったこっちゃないって思ってる。霊夢だし。
”殺される妖怪と殺されない妖怪”の違いは一応話の中で基準が書かれているものの、たぶん他にも”霊夢ルール”というのがあって、そのルールから外れた妖怪、人間はやっぱり問答無用で殺してしまうんじゃないかな…って想像してしまったりする。
あとひょっとしたらこのルールから逸れたルールを作った歴代博麗の巫女もいたのでは…という想像とか出来るよね。上でも同じ事書いたねたしか。
とまぁ、ここまで独断と偏見に基づいた鈴奈庵25話についてでした。
最後まで読んだ人いないねたぶん。