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読書感想

『絶歌』の感想、というかこれを読んで思うこと。ついでに『礼賛』も。

 

と、その前に『連続殺人犯の心理分析』からの文章を引用してみる。殺人犯に興味がある自分みたいな人達の心理について実に的確に書いた文章。

 

「連続殺人犯」の心理分析

「連続殺人犯」の心理分析

 

 

僕がこの殺人犯たちにたどり着いた理由の一つは、彼らを賞賛しているからだった。もちろん、賞賛するのは、彼らの犯した罪ではなく、彼らの度胸と完全実行だ。いまさら、述べるまでもないが、彼らの非人間的な行動は言語道断だ。彼らは、市井の人々を治める規則をあえて軽蔑するだけなく、規則を管理しようと躍起になっている人たちを嘲るかのように殺人を繰り返したのだ。
僕の人生のうちには、正しく生きていてほしいという周囲の期待と僕独自のやり方で目立ちたいという衝動との狭間で揺れ動いていた時代があった。その頃の僕は、この殺人者たちの行為に、いとも簡単にある種の畏敬の念を抱いていたからだった。
僕は、犯罪者とそれを逮捕するものとの間には、密接な繋がりがあることを知っていた。警察官が、インタビューに答えて、別のチャンスが巡ってきたら立場は簡単に逆になっていただろう、と秘密を暴露するのを聞いたことがある。もちろん、連続殺人犯たちは絶えず警察に接近する方法を見つけ出していて、自分自身が警察官のふりをしたりするのだ。
僕は、犯罪者と法の執行官の間には、どうも何か共通するものだある。両者とも、崖っぷちで生きるのが好きなような気がする。だから、もし僕がこの殺人者たちを裁判にかける立場の人物になるつもりなら、僕自身の心の暗黒面をよく理解していなければならないだろう。

 

 

自分自身、高校時代あたりから殺人犯についての記事、本を色々と読んでいた時期があって(誰だって黒歴史はあるでしょう?)、今でもその傾向は割と残っている。なので、どんな犯罪者が本を出そうと”そこに犯罪者の本があるから”って理由で不謹慎だと思いつつ、印税を作者に渡したくないと思いつつ、とりあえず手にとって読んでしまうんだよね。これはもう治らないとも思う。というわけで件の二冊を一気に読んだわけですよ。

 

絶歌

絶歌

 

 

 

礼讃

礼讃

 

 

あ、色々と言われているけどもなんで”なんで少年Aの本だけ”をとりあげて”出版差止めしろ”みたいな意見を言い出す人がこうも多いのか。そんなに良識人ぶりたいの?じゃあ他の犯罪者が出版した時になんで何にも言わなかったのでしょう?秋葉原通り魔市橋達也木嶋佳苗佐川一政永山則夫etc…。『礼賛』なんて出てる時期そんなに変わらないのにこっちに抗議している人も見た記憶がないよ。

そもそもヒトラー毛沢東カダフィ、山口組組長の著書に至るまで出版されている国でなんで殺人者が出した本一冊の出版を差止めしろみたいな表現の自由を否定するような発言を平気で言えるのか、って中二病的な意見を言いたくなるよね。明治時代から”殺人者の書いた本”なんて出版されているし(野口男三郎の『獄中の告白』)、どこの国だってそういう本は出ているんじゃないの。犯罪者の本が読みたくないなら読まなきゃいいだけの話じゃないの。

”不快に思う人がいるから出版差止めしろ”ってのは他の本にだって適用されてしまうし(世の中には不快な本のが多いのではって思う)気持ちは分かるけどもなんで平気で表現の自由を否定するような発言が出来るのかが分からない。どんな人間だろうとも、反省してなかろうとも本は出していいはずだよ。

 

で、肝心の『絶歌』を読んだ印象はというと、反省してないうんぬんよりもまず文章の稚拙さ、肝心な内面部分の描写の欠如(バモイドオキ神についての言及なんて全く存在しないし)、10代が書きそうな感じで書かれる自分が影響を受けたものについての言及の仕方。

ただ自分が経験した事を書いていっただけ、それは世間から馴染めないと思っている普通の少年の悩みそのものでもある(そこで酒鬼薔薇への共感をしてしまう中二病の子がいるのかもしれない)。それがちぐはぐに書かれているだけ。酒鬼薔薇っぽいような部分、犯行の部分は確かに書かれているもののその描写には迫力も反省も存在しているように見られない。非情に薄っぺらい印象を受ける。一体彼は何が書きたかったのだろう?。

全体の薄っぺらい印象と”こんな本が売れていて印税が酒鬼薔薇に入る事”が併せてそれなりの不快感を感じる本になっている。

 

けどわざわざ『絶歌』を読む人なんて”どうせ不快な気分になるにきまっている”と決めつけて読む人が大半だろうし(もしかしたら酒鬼薔薇を神格化して期待して読む中二病の人もいるのかもしれない)、そしてこの本は”読んで不快になるような本”なのですごく期待に応えてくれる本なのじゃないのかな。

 

あ、『礼賛』の方は酒鬼薔薇の本よりもよっぽど文章が上手い作品。多くの金持ちを誑かしてきた知性のある人間なだけある。けど、一体何処の誰が”木嶋佳苗の初体験を元にした描写”なんて読みたがるのだろう……?と思ってしまうような本。

小説仕立てになっているものの明らかに自伝であって、そこに興味深いものが潜んでいるのかいうと別にそんな事はなくてひたすら男、男、男との出会いや性描写がありげんなりしてくる(最初の方は母親との確執の話であってここは面白い)。しかし本当に一体だれが木嶋佳苗の自伝的性描写を読みたいと思うのか…。と思っているそばから濃厚な描写があって、一体どういう神経でこんなものを書けるのだろう…と思ってしまう。

この本には”どうやって、どうして、あの外見で数多くの男を騙し大金を得て殺したのか”というみんなが心の奥底でこっそり思っているような事については全く語られてないし、他の内面すらほとんど語られているようには見えない。多分一生本人の口から内面は語られないままなのだと思う。まだ係争中なのを差し置いても空虚感だけが残る本。

 

これはニコニコで何故か公開されているので物好きはどうぞ。

礼讃・第0回「プロローグ」:礼讃:木嶋佳苗チャンネル(木嶋佳苗) - ニコニコチャンネル:エンタメ

 

いろんな犯罪者の本を少しは読んできたものの、どの本もどこか稚拙でどこか不快にさせてくる本だったし、”普通の人が経験してないような異端の経験が緻密に精細に書かれた本”なんて読んだ記憶はない。まぁ、ひょっとしたら一冊くらいはそんな本があるのかもしれないけどね。結局、殺人犯の書いた本なんて”このいろんな不快感、いろんな稚拙さを味わうための本だよね”と言いたくなってくるよね。野次馬趣味を満たす以上に殺人犯の本に何を求める必要があるのだろう?

いい文章、いい描写の本なんてプロが描いたものを読めばいいわけで殺人犯の本には殺人犯の本としての楽しみ方があるよね。あるはず。

 

あ、太田出版は特に反省しないでいいからこのまま不謹慎路線で殺人犯叢書みたいなのを作ればいいんじゃないのかな。次はネオ麦茶か松永太に書かせよう。